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2009年03月26日

弥生体験ー邪馬台国考

大阪歴史博物館http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8
お菓子の世界展

そして、大阪府立弥生博物館で
弥生フェスティバル
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/yayoi_festa.html
28日まで入場無料で楽しめる。

最近、橿原考古学研究所の寺沢薫氏の著書「王権誕生」(講談社)
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2689022
を読む機会があった。
2002年に出版された本ですでに学術文庫にもなっているのだが、
奈良県田原本町という弥生の環濠集落「鍵・唐古遺跡」や「鏡作神社」という
いわくありげな遺跡が所在する土地に古代史にこだわる「倭の国書房」
という本屋さんがあって、店主が元地方新聞の論説委員で、最近
奈良県桜井市の纏向遺跡発掘の話題から貸してくださったのだ。

私が考古学の最先端を追いかけていたころ15年も前だが、このころは
この鍵・唐古遺跡が弥生時代にわたる大集落だったのに、古墳時代になると
突然消滅して、纏向遺跡の大規模な造営が始まるということ、またかつて、同じ
磯城郡に所属していたという点から、この集落から集団移住したのだとされ、邪馬台国の強力な候補地とされていた。

しかし、この本では、中国の動乱に対応した倭国の大乱という日本の幕末のような危機に際して、
北九州勢力と中部・東部瀬戸内海に拠点を置く吉備勢力が連合して、「邪馬台国」というクニの女王であった若いシャーマンを
「倭国の王」、国家元首として戴いた、その神殿と宮殿を併せ持ったような大造営が纏向遺跡であり、これは東海勢力に立ち向かう西日本連合のような意味を備えていたというものである。ここにおいて古墳の造営の中心になった、古代のゼネコンは瀬戸内海の吉備から出雲にかけての有力者たち。
大和は、国の中心というよりは当時にあっては、互いに覇権を競っていた北九州と吉備勢力などもろもろの有力者たちに
「共通の敵」による国難回避としての祭祀的前線基地となったのであるということになる。
中国の史書の小さな2千字ほどの記録解読に血眼になって邪馬台国論争を展開する時代は終わった。
アジア史の中で日本という国の背景と中央集権国家への萌芽の意味を個々の日本人が体感する、できる時代になったのだ。


黒船の到来で国難に遭遇して奮起した幕末の薩長土肥勢力が、京都の天皇を江戸に「遷都」して「東京」とした状況に似た時代背景を考えれば分かりやすい。
以後も東海の牧で培った騎馬戦力は常にヤマトに中心を置いた勢力にとって脅威となる。関東武者の伝統でもある。
膨大なデーターと現地踏査に基づいた大変面白い著書である。
瀬戸内海の高地性集落も登場する。
さて、これらと海でつながっている大阪の弥生ハイテク集落跡も観察しておくのも有意義だろう。
でもやはり、卑弥呼はどこで生まれたのか、つまり、邪馬台国は、ヤマトのどこにあったのか、興味はつきない。
卑弥呼の時代のお菓子とまでは遡らなくてもお菓子の展覧会もおもしろそうだ。






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