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2011年11月01日

「沖縄の遺宝」ー鎌倉芳太郎展@沖縄県立芸術大学・図書資料館

「沖縄の遺宝」ー鎌倉芳太郎展@沖縄県立芸術大学・図書資料館


鑑真和上の沖縄到着文献
「唐大和上東征伝」鑑真の在唐時からの弟子であった思託から資料の提供を受けて淡海真人三船(西暦722年~785年)が撰修したもの。以下に現代口語訳。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yurusu240/ganjin.htm
(ついでに海路図と唐招提寺のアマチュアとはいえすばらしい画像紹介を。
http://www.geocities.jp/candymary2492/nara4.html

沖縄タイムズの一面広告で首里城祭り、特に册封使の儀礼再現があるという
ことを知り、翌日出向いた。

摩訶不思議な出会いがあり、
駅でサイクリングの看板に目を止めていたところ、うら若い女性が傍に現れ、
一緒にサイクリング窓口を探す。
大分在住・奈良女子大出身だったことから話が弾み、一緒に儀式を鑑賞。

その後、彼女は別の島にバカンスに出かけ、
私は公園内の売店を物色するうちに
男子高校生遠足集団襲来でレストランに避難して食事。

 のち、図書館の所在を尋ねて
自転車で出向く途中で、県立芸大の付属図書・芸術資料館で
http://www.lib.okigei.ac.jp/museum/information.htmlhttp://www.lib.okigei.ac.jp/lib.html
「沖縄文化の父、鎌倉芳太郎が見た戦前の沖縄」展という掲示を見かけた。

鎌倉芳太郎(1898~1983)は、香川出身の型絵染作家で、重要無形文化財技能保持者(人間国宝)。その一方で、戦前の沖縄の文化を調査、記録し編纂した「沖縄文化の遺宝」の執筆者の展覧会と「紅型型紙」に関する講演。
 
 講演は終わる寸前ながら、展示は見るに十分な時間。

 鎌倉芳太郎という名前は忘れていたものの、高松市で実践塾開催後に立ち寄った
菊池寛記念館で南原繁や宮武外骨らの業績などとともに、
沖縄紅型の保存に尽力した県人がいたという記憶がよみがえり、
さらに展示を追っていくと<東京美術学校時代に奈良の古美術見学を志して訪れた唐招提寺で鑑真和上渡海来朝の折、「阿児奈波(沖縄)に漂着していることを知りはなはだ興味を蓄え「唐上和上東征伝」そのほか解説の諸書をノートに筆写した>ことにはじまるという。

ところが、であります。
この解説において「唐招提寺」が唐招掲寺」鎌倉芳太郎が筆写したという「唐大和上東征伝」は「唐上和上東征伝」と誤記されたまま。

学芸員の方に知らせると、「すみません」というだけで確認しようともしない。


また、会場の入り口付近の机の上に「沖縄文化の遺宝」という
豪華本と写真集および寄贈資料の復刻版が置かれていた。
首里城の傍で育ったという高齢者数人が首里城の復元参考資料となった写真集を見て子供のころの風景を問わず語りに話す。その一人は大正15年生まれ(!)で、「文字はもう読めないから」ということなので
私は「沖縄文化の遺宝」を広げ、
ではたして芳太郎が上記のような誤記をして、天下の岩波書店が出版しているのか?と筆記用具片手に点検していると
学芸員が駆け寄ってきて、鉛筆で書けという。さらに
本に損傷されては困るということでボードまで持ってきてくれた。

会場には熱心に芳太郎のメッセージを書き写している女性がいて、
唐招提寺の誤記は彼女の指摘できづいた。

「あんなに懐かしがっている昔を知る人々がいるのに
彼らが本を読みやすいようなテーブルとか椅子を置けばよいものを。残念ですね。」

 明るく、「空爆で焼けてしまったからさ~」という
この男性たちの記憶は芳太郎の記録を補完する貴重な証言を含んでいるかもしれない。
そうした民俗学(フィールド・フォークロア)的な感覚をこの資料館の学芸員たちは備えていないとしたらまことに残念なことだと

芳太郎のメッセージを書き写していた件の女性と意見がピタリ一致した。


 さらに、である。

名残惜しく会場を去ろうとするときに、右手にもう一つ会場があり、この大学の常設展覧会かと思ったが、芳太郎の寄贈した資料の一部である不明乾板写真を展示。
来場者たちに知見を求める「お願い」が書かれていた。

もはや、なんというべきか。

この資料館には奇遇にも奈良県立万葉文化館の意味不明の「大飛鳥展」
のちらしもあったが、展示手法といい、来場者の動線をおよそ理解しない
レイアウトといい、不親切な説明、若い女性学芸員2人という共通項から、
一般の歴史や文化鑑賞者たちの視点や要望、行政の地域創造などへの視点から
昨今の学芸員たちが、行政の一員でもありながら、これほど乖離している
背景には学芸員教育課程の問題もあるのだろうか、と
疑問を大きくした。

鎌倉芳太郎はいかに共有されるべきなのか。

大和郡山の城跡に藩士らが懇請して誕生した郡山中学校長から
東京美術大学校長となった
正木直彦は
芳太郎の大和路へのよきナビゲーターとなり、
そして
鑑真和上の執念の旅が沖縄に興味を向け、
紫雲山や瀬戸内海を見て育った青春と重ねて
沖縄で教鞭を執る一方で民俗調査を進めた
鎌倉芳太郎。

首里城を一万個の燈火が彩る中、册封使たちがくぐった
守礼門前では沖縄の各地区で形象されている伝統芸能が
始まり、これを亜熱帯の緑に包まれて鑑賞し、
30分近くある休憩のあいまに土産物を物色し
マンゴーアイスクリームを外に持ち出して食べていると、
先ほど資料室で出会った女性に再会。
首里織
http://ogb.go.jp/move/okip/menu_y121b.htmlの伝統工芸士で、
那覇伝統織物事業協同組合理事長という
貫禄ある女性と一緒だった。
自ら織った光沢のある上着が燈火に映えていた。

画家である芳太郎の記録した刺青の模様を追っていた
私に、
そのとなりの縄の結び方のスケッチが素晴らしいと教えてくださり、
理解と鑑賞が深まったのはこの織物師さんの眼のお蔭だったのだと
気づいた。

四国新聞で追跡記事がある。
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/450/







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Posted by こくぶん at 08:58│Comments(0)民俗学
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