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2008年10月13日

評-灼(しゃく)熱の画家・桜井浜江


地の底から湧(わ)きあがる力~灼(しゃく)熱の画家・桜井浜江~
篤姫を視ていたが、気になってこの再放送に切り替える。
東北人の口よりいずる誠なる言葉に響くものあり
情念がいかに絵画となるか、ルオーとも大動脈ともみえる「血」の絵。
その力を凝縮した壷の静かな煌き。生涯を通じて表現しつづける思いを
「自分のためでもない、誰のためでもない。何かに突き動かされているようだ」と表現する。
家出同然で故郷を後にした車窓で視た巨木の周辺の「ひこばえ」を胸に。

10月12日(日) NHK教育 20:00~21:00
▽94歳の壮絶な絶筆・桜井浜江逆境の連続に打ち勝つ▽女性洋画家の草分け地の底からわき出る力▽逆境の人生▽9:45アートシーン “速水御舟”展
出演 / 檀ふみ 黒沢保裕
▽昨年2月、99歳を目前にして亡くなった桜井浜江さんの画業に迫る。桜井さんは1908(明治41)年、山形市に生まれた。高等女学校卒業後、画家を目指して18歳で上京、岡田三郎助の私塾などに通った後、日本のフォービスムを率いた里見勝蔵らが指導する「1930年協会洋画研究所」で学んだ。画家としての本格的な活動は1931年の第1回独立展入選で始まる。すさまじい生命感や運動感は大画面でなければ表現できないと、桜井さんは70歳で初めて大画面に挑み、78年の独立展に200号の大作を出品した。その後、94歳の絶筆「富嶽」に至るまで、ほとんどの作品は200号だった。桜井さんは戦後間もないころ、三岸節子さんらと女流画家協会を創立し、まだ女性に対しては厳しかった画壇とも静かに闘った。独自の画面を追求し続けた桜井さんの気骨ある生きざまを伝える。



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