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2009年01月25日

from The Anthology of Myriad

The Anthology of Myriad万葉集
万葉集で好きな歌は?と聴かれたならば、山上憶良http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AFの歌をまず挙げたい。その生涯と、貧窮問答歌である。このウイキぺディア解説も、「山上 憶良(やまのうえ の おくら、(斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?)は、奈良時代初期の歌人。万葉歌人。従五位下。下級貴族の出身(中西進ら文学系研究者の一部からは百済系帰化人説も出されている)で、姓は臣(おみ)」。

「702年の第七次遣唐使船に同行し、唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する。帰国後は東宮侍講を経た後、伯耆守、筑前守と国司を歴任しながら、数多くの歌を詠んだ。

仏教や儒教の思想に傾倒していたため、死や貧、老、病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察していた。そのため、官人という立場にありながら、重税に喘ぐ農民や防人に狩られる夫を見守る妻など社会的な弱者を鋭く観察した歌を多数詠んでおり、当時としては異色の社会派歌人として知られる。

抒情的な感情描写に長けており、また一首の内に自分の感情も詠み込んだ歌も多い。代表的な歌に『貧窮問答歌』、『子を思ふ歌』などがある。万葉集には七十八首が撰ばれており、大伴家持や柿本人麻呂、山部赤人らと共に奈良時代を代表する歌人として評価が高い」。

簡潔ながら要を得たもので、

以下を代表作品として載せている。

神代(かみよ)より言(い)ひ伝(つ)て来(こ)らくそらみつ大和(やまと)の国(くに)は皇神(すめらのかみ)の厳(いつく)しき国言霊(ことたま)の幸(さき)はふ国(くに)と 語(かた)り継(つ)ぎ言(い)ひ継がひけり

(「神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理」『万葉集』巻5-894)
世の中を憂しとやさしとおもへども飛びたちかねつ鳥にしあらねば

珍しく、雪まじりの雨が降る奈良市内などを歩いていると、この言霊にいざなわれるのか、山上憶良の貧窮問答歌が浮かんでくる。
かつてない金融恐慌の中、多民族共生を説く、ブラックアメリカン初の大統領のホワイトハウス入りとともに押し寄せてきた
寒波、2010年の平城遷都1300年記念事業、710(なんと)大変な遷都であったことか。歴史を伝えた折々の為政者の優れた決断、あるいはそれを導いた、信念に満ちた先人たちの実践。こういう、まさにアジア・ユーラシア史でもある日本史の背後の英知を発信する装置が必要だと痛感する。


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 Manyo shu (2010-07-15 07:31)

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